ジャイアンは「映画の時だけいいヤツになっている」わけではない

2017年7月28日

こんにちは、今日はドラえもんについて。
現在Abema TVでドラえもんの大長編映画を一挙放送していますが、それをちょくちょく見ています。
大人になった今見てみると当時とはやはり感じ方も違っていて、どうしてもより引いた視線で色々考えたり評価をしたりしてしまいますね。
子供のとき程素直には楽しめなかったり、大人になっても面白いと思えたり、逆に大人になったから気付くことやわかることもあったりと感想は作品によって色々なのですが、全体を通してやっぱりドラえもんはいい作品だと再認識しましたね。

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さて、その中で気になったのがタイトルの「ジャイアンが映画の時だけいいヤツになる」という風潮。
Abema TVのコメントでもそういった書き込みは多いですし、ネットで検索しても「映画版ジャイアンの法則」とか書かれていて、一般的にそういったイメージが強いようです。
ただこれは違うんじゃないかなと僕は考えています。一体どういうことか、下で検証していきます。

映画版でもジャイアンはいじめっこ

大長編ドラえもんの導入パターンというのは大体決まっていて、のび太が夢見がちなことを言ったり見栄を張る。ジャイアンとスネ夫がそんなのび太をからかったり証拠を見せるよう要求する、そして困ったのび太がドラえもんに泣きついてなんとかしてもらい冒険へと繋がっていく、という流れです。
日本人なら一つや二つシーンが思い浮かぶのではないでしょうか。
例えば『のび太と竜の騎士』ではのび太が恐竜は今でも生き残っていると言ってジャイアンとスネ夫に馬鹿にされる所から話が始まりますし、『のび太とアニマル惑星』ではのび太がアニマル惑星に迷い込みそのことについて皆に話しますが、やはりジャイアンとスネ夫に馬鹿にされます。

つまり映画になってもジャイアンはいつもと変わらずのび太をいじめるガキ大将なわけです。

原作でもジャイアンは良い所がある

「最初はそうかも知れないけど、映画では途中からいいヤツになるじゃないか」という風に思われるかも知れません。
それは確かにそうなのですが、ジャイアンが男気を見せて仲間を助けるのは映画だけに限りません。

(てんとうむしコミックス31巻「ためしにさようなら」より)

例えば上はてんとうむしコミックス31巻の「ためしにさようなら」という話の1シーンです。
この話はのび太が皆に相手にされず、果たして自分が引っ越したら皆が寂しがってくれるか確かめたいと考えもしもボックスで「もしもアメリカへ引っ越すことになったら」と言ってみたという話です。
もしもボックスを使う前はアメリカに引っ越すと言っても気にしてなかったジャイアンが、本当になったらいの一番に駆けつけてのび太を励ましに来ました。

 

(てんとうむしコミック35巻「ドラえもんに休日を!!」より)

上はコミックス35巻の「ドラえもんに休日を!!」という話。
普段のび太の面倒を見ているドラえもんに休みをあげようと思い立ち、何があってもドラえもんに助けを求めないと宣言します。
他所の子供に絡まれてしまうのですが、それでも使わないとドラえもんに渡された助けを呼ぶブザーを自ら破壊、はじめはドラえもんを呼ばせようと意地悪をしていたジャイアン達もそんなのび太の姿を見て助太刀するというシーンです。

話の都合もありますがこのように、「普段は意地悪な乱暴者だけど、いざという時は仲間思いのガキ大将」というジャイアンのキャラクターは原作でも映画でも一貫していて、映画でも最初は大体意地悪ですし原作でもここぞという場面では仲間思いの一面を見せています。
ただ原作の場合日常がメインでそのいざという時が中々やってこない、それに対して映画の方は
毎回大事に巻き込まれてドラえもんやのび太がピンチに陥ることも多いため「ジャイアンは映画の時だけいいヤツになる」というイメージが定着したのでしょう。
まあジャイアンに限らずキャラクターの性格が固まったのはある程度連載してからなので、初期は必ずしもその限りではないのですが。

 

結論

  • 映画原作関係なくジャイアンは普段は意地悪な乱暴者だが、いざというときは仲間のために行動するキャラクター
  • 原作では差し迫った状況になることが少ないため「映画の時だけ人が変わる」というイメージが付いた

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