死と隣り合わせに生きた天才棋士 『聖の青春』(大崎善生)

今日の一冊は将棋棋士、村山聖氏について書かれたノンフィクション『聖の青春』です。
本自体は10年以上前に出版されているのですが、昨年松山ケンイチさん主演で映画化されました。
その流れで僕も読んでみました。将棋は子供のころに遊びで少しやったくらいで特別ファンというわけではないのですが、
そんな僕でも読んで面白く、色々感じる所もあったので紹介します。

スポンサーリンク

 

夭折の天才棋士村山聖とは

村山聖は1969年広島生まれの将棋棋士で、あの羽生善治と「東の天才 西の怪童」と並び称されました。
類稀な才能に恵まれた一方で、常に病と闘い続ける人生でした。
まず5歳でネフローゼ症候群を患っていることが発覚、それ以降少年期の多くの時間を療養所と病院で過ごすことになります。
そこで出会った将棋にのめり込み、名人になることを夢見てプロを目指します。
すぐに頭角を表わし、羽生を越える速さで奨励会からプロ入りをするものの常に病気に悩まされることになります。
対局当日に体調を崩しろくに集中できないことや、部屋を出ることも出来ず不戦敗になることも度々ありました。
それでも一度は名人位に手が届く所まで行くものの、1997年には膀胱がんを患っていることが発覚、一度は手術をして復帰を果たすもののその翌年に再発、1998年に29歳の若さで亡くなりました。

 

等身大の姿

幼い頃から病に苦しみ、最後にはがんで若くしてこの世を去ってしまうわけですが、
かといって本作は暗いトーンで書かれているわけではありません。
将棋の魅力に取り憑かれる様、勝利と名人への執念、村山の人生の価値観が等身大で記録されています。

師匠である森信雄との師弟愛も重要な要素の一つで、こんなシーンがあります。

「あのー」  蚊の鳴くような声が聞こえた。

「森先生」

「何や?」

「のり巻きを買ってきていただけませんか?」

「腹、すかしとるんか」

「はあ」

村山の声を聞いたとたん、森はなぜだか吹き出しそうになってしまった。さっきまでの腹立たしさが、一瞬にしてどこかへ消え去っていた。

村山はまるで待っていたかのようにのり巻きの種類と、それを売っているコンビニの店まで指定した。「それと」と言って村山はやっとゴミの山から顔を出した。しかし森が蛍光灯の紐を引っ張るとまた慌てて顔を引っこめてしまった。何日も暗闇の中ですごした村山にとって、蛍光灯の光ですら眩しすぎるのだ。 「それと、ミネラルウォーターもお願いします」と村山。

「あんなあ」と森は言った。

「はあ」と村山は答えた。

「どこのや?」

「南アルプスの天然水です」

森は自転車を走らせコンビニに向かった。もう午前2時を過ぎようとしていた。自転車を漕ぎながら森は思った。師匠である自分が何で夜中に買い出しに走り回らなければならないのだろう。しかも、そんなことが平気などころかどこかで喜びさえ感じている自分が、さすがに不思議に思えた。

 

これは病で寝込む村山を森が見舞う所なのですが、師弟というより親子のようで微笑ましくあります。
村山聖は大人になってからも子供のような純粋さがあり、その愛嬌になんともいえない魅力を感じます。

 

常に意識していた死の存在

村山は幼い頃から死を身近なものと感じていました。

その雀荘に村山がふらりと訪ねてきた。そして、森の後ろにそっと座った。

「どうしたんや、村山君」

森が話しかけると村山は何も言わずにニコニコしている。

(中略)

「何かいいことあったんか?」と森が聞くと、 「はあ」と村山は照れくさそうに首をすくめた。

「いいことあったんなら言うてみい」

「あの、森先生」

「何や」

「僕……僕」と言って村山は少女のように顔を赤くした。

「僕、今日20歳になったんです」

「ああ、そうか、それで?」

「いえ、ただそれだけです」
「これからはこそこそせんでも酒も麻雀もできるなあ」

「20歳になれて、嬉しいんです。20歳になれるなんて思っていませんでしたから」

そう言うと、村山は雀荘から出ていってしまった。その後も麻雀はつづいた。

しばらくして森は気づいた。村山にとって20歳まで生きるということは大きな目標だったのである。その目標を達成した喜びを誰かに告げたくて、いてもたってもいられずに雀荘にきたのだということを。

 

僕は自分が20歳になるまでに死ぬかもしれないなんて全く思っていませんでした。
しかし、村山にとって20歳まで生きられたというのはそれだけで嬉しいと思えることだったんですね。
村山の生と死を強く意識していたことを示すエピソードはそこかしこに出てきます。
例えば 「どうして、せっかく生えてくるものを切らなくてはいけないんですか。髪も爪も伸びてくるのにはきっと意味があるんです。それに生きているものを切るのはかわいそうです」と言って爪や髪を切るのを嫌がり、ダニもやはり「生きているものを殺すのはかわいそう」と言って駆除しませんでした。

 

体が健康で年も若いとどうしても人間いつかは死ぬ、ということを忘れてしまいがちです。
忘れるというより目を逸しているのかもしれません。
しかし村山聖は幼い頃からの病が原因で死から目を逸らすことが出来ませんでした。

 

時には村山は真剣さが足りないと言って師匠に弟弟子を全員辞めさせようと師匠の森に提言します。

何も村山は弟子が憎かったのではなく、むしろ逆でだからこそ限られた時間をいい加減に使っている弟弟子達がはがゆかったのでしょう。
将棋のプロを目指すくらいですから弟弟子達も十分真剣だったはずですが、村山からすればまるで足りなかったのでしょう。
それはそれだけ村山が自分の人生に真剣に向き合っていたということでもあります。

 

自分が死ぬなんて思わず生きていられるのは幸せなことなんだろうとは思いますが、現実にはどんな人でもいつかは死にます。
そしてそのいつかがいますぐやってこないという保証は何処にもありません。

 

〈何のために生きる。  今の俺は昨日の俺に勝てるか。  勝つも地獄負けるも地獄。99の悲しみも1つの喜びで忘れられる。人間の本質はそうなのか?  人間は悲しみ苦しむために生まれたのだろうか。  人間は必ず死ぬ。必ず。  何もかも一夜の夢〉

 

上は村山の母が村山のアパートで見つけたメモ書きです。

「人は必ず死ぬ。」

より充実した人生を送るために、当たり前だけど忘れがちなこの事実を意識していこうと思います。

スポンサーリンク